アーサー・ミーラーの有名な戯曲である。

以下記事は、本作の内容も含むので、物語の顛末を知りたくない方はご遠慮いただきたい。

【あらすじ】
時代背景は1955年頃のアメリカ。(書籍の出版年代から勝手にそう解釈している)
主人公はウィリー・ローマンという60歳過ぎのセールスマン。
かつては敏腕で稼ぎも良かったが、今は老齢に差し掛かり、仕事もうまくいっていない。
しかし、プライドの高さから、そのことを素直に家族に打ち明けられずにいる。

物語は、この男の言動をとおして、
現代人の人生観や家族関係の在り方が切実に描かれていく。

ローマンはもう60過ぎだというのに、35年尽くした会社から冷遇されている。
給与を固定給から歩合給に変更され、1000キロ離れた遠方の地で、
新規顧客の開拓をさせられている。
契約はまったく取れず、もう数週間もの間、収入はない。
そのことを家族に隠し、隣人のチャーリーから毎週50ドル借りて、家に入れている。
妻はそのことに気付いているが、夫と現状について率直に話し合うことができず、
ただ献身的に支えようとする。

そんな生活が3ヵ月続き、ローマンはノイローゼになる。
妻は夫が自殺したがっていることに気付き、それを必死に防ごうとする。
二人の息子もそのことに気付き、父親の支えになろうと協力する。

長男と父親の間には過去にあったある事件が原因で確執があるが、
最期には、長男から父親へ、本心を打ち明け和解する。
そして、すべて丸く収まったかのように思えたが、
ノイローゼのローマンは愛する息子と家族のために、
自分の生命保険金を家族に残すため、その夜自殺する。

ローマンは25年の住宅ローンを払い終えたが、その日に自殺した。
残された家族と隣人がローマンの墓の前で語り合う。

【感想】
最後の登場人物たちの語りが、視点によって様々に解釈でき、
一意に理解するのは難しい。

妻は夫を愛していると口にするが、実際はお互いの心は冷え切っている。
しかし、そのことを当の本人たちですら、自覚していない。
家の経済的事情を知っているのに、最後まで墓の前で、
「なぜこんなことをしたの?私にはわからない」と言い続ける妻の姿が、
そのことを婉曲的に物語る。

しかし、この妻を責めることはできない。
ローマンは家族に金の心配はかけたくなかった。
立派な人間でありたかった。だから、妻が現実を直視せず、
幸せそうに振る舞ってくれることをローマン自身が望んでいた。

妻が最後まで墓の前で「わからない」とローマンに語り掛けるのは、
夫のための悲しい嘘なのかもしれない。

長男は「この人は自分が何者かわかっていなかった」という。
次男は「父さんのように立派になって見せる。この街で成功して見せる」という。
隣人は「セールスマンは大変な仕事だ。根を持たない。人に合わせて愛想笑いをし、人の機嫌ばかり伺っている内に自分を見失っていく。誰も彼を責められない」という。

父から愛されるあまり、過剰な期待をかけられた長男は、
それを重荷に思い、父親に反発している。
34歳になって定職にもついていないが、それでいいと口では言っている。
しかし、物語が進む中で、ただ自分が父親に反発し、
自分はダメな人間だと思い込もうとしていただけであることを自覚する。
本心では勤勉な生き方をしたいと望んでいるのかもしれない。

一方の弟は、父親の愛情が兄にばかり向いていることを感じており、
父親に認めてもらおうと、虚勢を張って生きている。
いわば、父親と同じような道を生きようとしている。


1985年制作のTV映画版で視聴した。
ダスティン・ホフマン、ジョン・マルコヴィッチが出演しており、名演だった。

映画を視聴後、原作を少し読んだ。
セリフはほとんど同じだが、映像で見るのとまた印象が全然違い、面白い。

この作品をフックに社会学の様々なテーマが語れそうな気がする。
50年以上も前の作品だが、現代でも同じテーマの問題はあちこちの家族に内在している。
 

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