60を過ぎた母親が、「体中あちこち痛いけど、リハビリを頑張って働いている」とLINEで投稿していた。

「そういうものには頓着しない」と自分は決めていて、感傷的になりがちな母親の言動に自覚しないほどわずかな苛立ちを覚える。

しかし、しばらく後、それも片意地を張った態度だと自省する。

年を取って体調も良くない親に仕事などさせたくない。
自分にもっと経済力があれば、毎月仕送りだけで生活できるようにしてやれただろう。
本来はそうしたいが、そうできないことへの苛立ちや自分への不満が、今の自分の態度へと繋がっている。

ただ、母親は悲しんでいるだろう。
冷たい息子だと思われているかもしれない。
優しい言葉の一つでもかけてほしいのかもしれない。 

こうやって家族間の関係もすれ違っていく。

それで、ふと「セールスマンの死」を思い出した。
皆、立派な人間でありたいと願うし、人に優しくしたいとも願っている。
あるいは、人からそのように思われたいと願っている。

しかし、現実はそのようには生きられない。
体裁ばかりにこだわり、互いに無意味だと感じている嘘を維持するために、骨を折っている。
その嘘がなければ、互いに傷付くことを避けられない。

親の面倒も見れないくらい経済的にひっ迫した状況だ。
それでもこの年になって、金に困っていると親に心配をかけるくらいなら、
親のことなど気にも留めない冷たい息子だと思われている方が、いくらか気が楽だ。

まあ、面と向かって会えば、

「仕事しなさい」
「甲斐性がない」
「なんでもっと稼げないの?」
「誰々さんのところは何々の記念に親に何々をプレゼントした」

などなど、人の気も知らずに言いたいことをいう母親が面倒なだけでもあるのだが。
 

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