モノローグ

映画、本、アニメの感想。 その他、仕事、人生、家族についての独り言。

2017年04月



ブログアフィリエイトを始めて、1ヵ月ほど経った。教材を読み進めているうちに、ブログ運営のことがわかり始めて、この1ヵ月の作業を振り返ると、新しい気付きを得ることも多い。実は、このブログを含めて、記事が空のサイトも含めれば、20個近くサイトを作った。初めはどのようにブログを運営していけばいいか暗中模索であったため、ブログテーマを決めるのも、そこからタイトルを決めるのも手探りだった。そういう試行錯誤や思いつきの一つがこのブログだった訳だが、アフィリエイト用のブログとしては、おそらく一番向いてないタイトル設定をした。

このまま放置して削除してもいいのだが、本来のブログらしく、日記でも書いていこうかと思う。

世間を疎んじてアフィリエイトを始めても、結局アフィリエイトも顧客商売であり、その主軸になるのはコミュニケーションである。「ブログを書いて月3万円」というのはウソではないのだが、好き勝手なことを毎日書いていても、月3万円になる保証はない。だから、アフィリエイト目的でブログを書き始めると、窮屈になる。この1ヵ月でそのことを感じた。

アフィリエイトの場合、「ユーザーの悩みを解決するコンテンツを提供する」というのが記事を書く目的になる。そのため、記事の構成にもある程度縛りがあり、基本的には、テーマ喚起、事例紹介、共感を獲得、原因解説、解決方法の説明、アフィリエイト商材の提示、という流れになる。ここで重要なのは、最初のテーマ喚起のときにより具体的にユーザーを想定することだ。マーケティング用語でターゲティング・ペルソナと呼ばれる。このペルソナを想定して記事を書いていくことになる。

そうするとだが、このブログ、ブログタイトルからして、すでにペルソナとの対話を放棄している。終わっている。
だからアフィリエイトに使っても売れる訳がない。

一方、ブログを作成する目的だが、これはアフィリエイトだけではない。自分の意見を公表したい人、趣味を公開したい人、など、様々だ。

ブログを作るにあたって、三冊ほど書籍を読んだが、「3ヵ月記事を毎日更新し続けると、自分の個性が見えてくる」と述べられていた。

このブログの狙いはそれである。

あえてテーマも決めず、とりあえず更新し続けてみようと思う。
 

連日、吐き気と頭痛、筋肉痛のような全身の痛みが続いてる。

この不快感の中で、生きてる理由がどこにある。

この苦痛に耐えてあと30年生きた場合と、今日で終わりにした場合とで、何か違いがあるだろうか。

今日死ぬのと、今から30年前に死んでいたのとで、自分の人生に対する評価は変わっただろうか。

結局、誰の記憶にも残らない。

記憶に残ったとして、何の意味がある。

何かを思っても、すべて自分の主観でしかない。

自分の主観の中に、大切にしたいものが何もない。

出典:自分 
そんなことを考えていたら、たまたま以下の曲の歌詞を思い出した。


嫌になった運命を ナイフで切り刻んで
もう一度やり直したら キミに出会えないかも

どんなに運命が悲惨でも、もう一度キミに会うためだったら、受け入れる。

そんな意味だと思うが、
アニメ ソード・アート・オンラインを見たことがないと世界観がわかりづらいだろう。
仮想現実技術の発達した近未来、ただのオンラインゲームのつもりでログインしたら、
本当のサバイバルゲームに巻き込まれてしまったという話。

通常、オンラインゲームの中で死んでも、ログアウトされて現実に戻るだけだが、
このゲームの場合、ゲーム内で死亡することで、現実の肉体も死ぬことになる。

何の覚悟もないまま、このサバイバルゲームに巻き込まれた1万人のプレイヤーが、
唯一助かる方法はゲームをクリアすること。

約2年もの間、プレイヤー たちは仮想現実のゲーム世界で暮らすことになる。
命を懸けてゲームクリアを目指す者もいれば、
現実への帰還を諦めて、ゲーム世界の中で暮らして行こうとする者もいる。

引用した歌詞はおそらく主人公の少年の心境。

ゲームの中で大切な人と出会って、その人と生還することを誓う。

僕の声が響いた瞬間に始まる 命のリミット 心臓がカウントしてる
叶えても叶えても 終わらない願い
汗をかいて走った 世界の秒針は いつか止まった僕を置いていく
あと何回キミと笑えるの?
試しるんだ 僕を Catch the Moment

これはゲーム内での命がけの戦闘に対する心境だろう。
叶えても終わらない願いとは、生き残ることを指してる。

いつ死ぬかわからない状況で生きていれば、
当然、「あと何回キミと笑えるの?」と思うだろう。

ゲームの初番、自分のミスで仲間を失った主人公は、
この世界で大切な者を持つことを恐れている。

一個幸せを数えるたびに 変わっていく未来に怯えてしまうけど

愛情の種を大切に育てよう
分厚い雲も やがて突き破るかな
(中略)
何もないと思ったはずの足元に いつか深く確かな根を生やす

引用:LiSA Catch the Moment 歌詞より

・・・歌詞までそんなしっかり聴いてなかったけど、
よく読んだら、すごくいい歌詞だ。

ソード・アート・オンラインは、基本的には、俺つえー系のハーレムアニメである。
だから、現在公開中の映画「オーディナル・スケール」も観に行くほど興味は持っていない。
しかし、ところどころに挟んでくるエピソードは、
ベタだけどなかなか泣ける、面白いアニメである。 

DVD出たら、観ようかと思う。
 

前回の記事で書いたとおり、私も「生きている理由を失くした人々」のひとりだ。

毎日、何の理由もなく生きている。

寝る前に時々思うが、

このまま明日目が覚めることがなくても、何も後悔することがない。
むしろ今抱えている様々な問題からエスケープできて好都合だ。

と楽観的なことを考える。

私は基本的には楽観主義だ。
死んだあと、輪廻転生や無間地獄で苦しんだリ、
魂がどうこうされるとは思わない。
脳から意識が消滅して終了だと考えている。
そういう意味では寝ている状態と死んでいる状態は、
意識の有無だけで言えば、よく似ている。
一度寝て、そのまま死んでも、自分が死んだことにすら、
おそらく気付かないだろう。


話を戻す。

ヲタという言葉自体が差別的な表現なので、
アニメ熱狂者と言い換えておくが、
物事に熱狂しているときというのは楽しいものである。

熱狂の度合いが、世間体を気しないほど強くなり、
あらゆる行動のモチベーションの原点と言えるほどになれば、
「生きていく理由」にもなるだろう。

一般的にアニメ熱狂者の熱狂の度合いがどの程度のものなのかは知らないが、
少なくとも今の私にとって「アニメが生きていく理由」と言えるほどは熱狂していない。

それでも、死期を選べるとするなら、俺ガイルの結末は見たい。

私程度の熱狂ぶりでも、そう感じる訳だから、
本筋のアニメ熱狂者が毎日どれほどの多幸感を感じて生きているのかと想像すると、
うらやましくさえ思う。

同じ時代で、同じような環境に置かれても、
アノミー的自殺に追い込まれる者もいれば、
まったくその影響を受けていない者もいる。

この違いは何なのかと思う。

少なくとも言えることは、熱狂できるものがあるというのは、
生きていく上で、この上なく幸運なことだ。
 

40代男の独り身の死因は次の三つのどれかだ。

1.酒や薬に溺れて体を壊す
2.女やギャンブルで身を滅ぼす
3.自ら命を絶つ 

引用:不明、何かの映画のセリフ 
これには至極納得できる。

もう毎日の人生に飽き飽きしている。

結局、家族や子供でもいないと、生きていく理由など、すぐに失くなってしまう。 


人生、プラスとマイナスがバランスしている。

実際はマイナスの方が多いかもしれないが、
それでもプラスの方が多いと自分を納得させて生きている。

ところが、30も過ぎると、プラスが極端に少なくなっていく。
心の感受性が弱って、新しいことに興味を持たなくなるからだとも言われているが、
自分の場合は、10代、20代の頃よりも、30代の今の方が物事への関心は強い。

それでも、時々、色々なことが面倒に思える。
この諸々の面倒くささ、つまりマイナスとバランスするだけのプラスがあるだろうか?
と考えてしまう。

世界中を旅行したい、仕事で成功したい、10年後、20年後の世界を見てみたい、
そんな気持ちはあるが、

日々の諸々の面倒くささに耐えてまでそれを実現したいかというと、
そんな気持ちが微塵も湧いてこない。

人生を肯定できる態度を養いましょう。
ある人が言いました。
「人生がつまらないという人間は、つまらない人間だ」
これは真理です。同時に、面白い人にとっては面白いし、
成功する人にとってのみ、人生は成功なのです。

引用:アール・ナイチンゲール 
これにも至極納得できる。

つまり、自分はつまらない側の人間になってしまったということだ。

絶対に失敗しない方法は、成功するまでやり続けることである。

引用:エジソン

人生で成功なんてあるのだろうか?
そう考えても仕方なく、成功するまで挑戦し続ける必要がある。

生まれた以上、自己保存のために生き続けるのが生命の宿命でもある。

だから、人間が「生きねば」と使命感で生きている状態というのは、もはや異常な状態なのだと思う。

おそらく自然界なら、既に他の動物に捕食されるか、飢えて死んでいるだろう。

しかし、偶然生まれたこの時代、この国でなら、ただ生きていくだけなら何の苦労もいらない。

難易度ゼロのクソゲーのような人生を使命感で生き続けるという不毛なことになる。

当然、難易度は自分で設定できる。

結婚して子供でも作って住宅ローンでも組んでしまえば、35年間は生きてく理由に事欠くことはないだろう。

その難易度を少し上げたゲームの中で、諸々のマイナスを補うだけのプラスが見つかるかもしれない。

一方で、少し上げたつもりの難易度が、思わぬハードモードになってしまい、それが理由で死にたくなっている人も大勢いる。以下、記事参照。

中年男性の7割が「人生つまらない」…「普通の人生」に潰され、家族のためにひたすら働く

とは言え、この記事の中で、そもそも論で語られるルールなど、戦後70年ほどの間のルールであって、人間にとっては普遍的なルールとは言えない。

私は、長い間、これを個人的な問題だと思っていたが、デュルケームの「自殺論」によると、こういう状態はアノミー的自殺と定義され、社会的な問題と捉えることもできるようだ。

よって、生きがいを見つけるなどの主観的な解決方法でもなく、結婚して子供作ってしまうというようなゲームバランスの強制調整のような解決方法でもなく、現代社会の状況から必然的に生み出されている人間としての自然な感情だと思って甘受してしまうのも逆説的な解決方法と言えるかもしれない。
 

60を過ぎた母親が、「体中あちこち痛いけど、リハビリを頑張って働いている」とLINEで投稿していた。

「そういうものには頓着しない」と自分は決めていて、感傷的になりがちな母親の言動に自覚しないほどわずかな苛立ちを覚える。

しかし、しばらく後、それも片意地を張った態度だと自省する。

年を取って体調も良くない親に仕事などさせたくない。
自分にもっと経済力があれば、毎月仕送りだけで生活できるようにしてやれただろう。
本来はそうしたいが、そうできないことへの苛立ちや自分への不満が、今の自分の態度へと繋がっている。

ただ、母親は悲しんでいるだろう。
冷たい息子だと思われているかもしれない。
優しい言葉の一つでもかけてほしいのかもしれない。 

こうやって家族間の関係もすれ違っていく。

それで、ふと「セールスマンの死」を思い出した。
皆、立派な人間でありたいと願うし、人に優しくしたいとも願っている。
あるいは、人からそのように思われたいと願っている。

しかし、現実はそのようには生きられない。
体裁ばかりにこだわり、互いに無意味だと感じている嘘を維持するために、骨を折っている。
その嘘がなければ、互いに傷付くことを避けられない。

親の面倒も見れないくらい経済的にひっ迫した状況だ。
それでもこの年になって、金に困っていると親に心配をかけるくらいなら、
親のことなど気にも留めない冷たい息子だと思われている方が、いくらか気が楽だ。

まあ、面と向かって会えば、

「仕事しなさい」
「甲斐性がない」
「なんでもっと稼げないの?」
「誰々さんのところは何々の記念に親に何々をプレゼントした」

などなど、人の気も知らずに言いたいことをいう母親が面倒なだけでもあるのだが。
 

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